『天高く馬肥える秋』とは、“秋は空気が澄んで空が高く感じられ、馬が食べ過ぎて太るくらい実りの多い季節である”という意味のことわざである。しかし子供の頃に『馬肥える秋』の『肥える』を『超える』と勘違いして、立派な馬が青空を走り連なる山々を悠々と飛び越えていく情景を思い浮かべてはわくわくしていたため、本当の漢字を知ったときはとてもがっかりした。
─────というようなことを、ズッコケ三人組の著者がシリーズのどれかのカバー袖で言っていたのを、毎年秋になるたびに思い出す。なぜ私はこんなどうでもいいことをずっと覚えているのだろうか?わからないが、今でも真っ青な秋晴れを見たときは、空を駆けていく馬がどこかにいやしないかと目を凝らしてしまう。
本題は引き続き結婚の話である。と言ってももう結婚のメリットデメリットとか私ができるかどうかとかについて考えるのは完全に飽きたので、最近私が考えている別の話をする。
かねてから私は、「結婚して夫子供と同じ家に住んで深い絆を築いていくより、友達と近所に住んでいつまでもゆるゆるふわふわ繋がってたいな~」と考えていた。自分に結婚が向いてなさそうだからだ。いや向いてないというより、旦那さんという赤の他人と、結婚というリスクが大きい契約を結びたくないのだ。かつ一人は寂しいので、気が向いたときに遊びに誘ったり誘ってくれたりする友達が近くに欲しいのだ。
いくつか前の話で「下に鳥貴とスーパーが入ったマンションに住むのが夢」みたいなことを言ったが、実はこれは完全ではなく、正確には「下に鳥貴とスーパーが入ったマンションの3階に友達、5階に私が住む(逆でも可)のが夢」である。
幼なじみにこれを言ったところ、反応は「何それ?」であった。「そんな近くに住む必要なくない?」と。確かにそうかもしれない。週末に互いの家の中間あたりに電車で行って飲んで、普通はそれで満足なのかもしれない。
しかし私は、大学院の2年間をおかしな学生寮で過ごしてしまったせいで、友達と突発的に飲み会をしたり、銭湯に行ったりする楽しさを知ってしまったのだ。楽しい時間が終わったあと、その余韻に浸りながら皆で同じところへ帰るときの満たされた気持ちを知ってしまったのだ。あの2年間のせいで私は、もう現地集合現地解散の飲み会では心から満足できない体になってしまった。あと単純に出不精だから飲み会のために電車に乗るのがダルい。
そこで同じ夢を、今度はその学生寮にともに住んでいたビスカちゃんに話してみると、「なんで3階と5階?一緒に住もうよ」と返ってきた。
「一緒に住もうよ」!!!?
いいの!?と言う他なかった。驚くべきことに、ビスカちゃんは乗り気であった。そしてさらに驚くべきことに先日、もう1人「一緒に住もうよ」の人が現れた。その人もビスカちゃんと一緒で、同じ学生寮に住んでいた大学院の同期である。色白なのと、以前ヤギに似ていると言われて満更でもなさそうにしていたので白ヤギさんと呼ぶ。
私は人より多少気難しい方であると自覚しているが、この2人も大概気難しい人たちだ。そんな気難しい3人が同じ屋根の下で上手くやっていけるのか?と思わなくもないが、意外と上手いこと行くのではないかとも思える。私たちは多分、少し性格が似ているのだ。全員内向的で、自立していて、自分は気を遣うわりに人に気を遣われるのがあまり好きじゃない。
まとめると全員コミュ障、みたいな言い方になってしまったが、私も含めみんな、情報や意思の伝達といったコミュニケーションは上手にできる。+αでビスカちゃんは甘え上手だし、白ヤギさんは盛り上げ上手で、私はいやみ上手だ。私だけ毛色が少し違うが、つまりはみんな、接する相手がどういう人か、自分の言葉が相手にどう影響するかをよく考えるタイプだということだ。
しかし、3人とも友達ができにくい。私の場合は職場の飲み会の誘いを断りまくるためにそもそも仲良くなる土台を築くことができず、他の2人も詳しい理由は知らないが、まぁそれぞれの事情があってなかなかできないらしい。そのため、いま仲が良くて共同生活の経験があるお互いをルームメイト候補として選んだのだろう。
3人でルームシェアできたら、楽しいだろうなぁと思う。
もう学生ではないし突発的な飲み会とかはしないだろうが、仕事から帰ってテレビを見ながら夕食をつまみに晩酌、というのを一緒にしてくれる人がいるだけで大分違うと思うのだ。
もちろん長くは続かないだろうと思う。2,3年も経たないうちに「彼氏と同棲始める。やっぱり子供欲しいし」だの「元カレとヨリ戻すわ。やっぱ子供欲しいし」だの言って出て行ってしまうことだろう。
というかそもそも今現在住んでいるのがそれぞれ仙台、東京、大阪であるからして、実現可能性からして相当に低い。
さらにそもそも、ビスカちゃんと白ヤギさんの2人がどの程度本気で言っているのかもわからないし、ルームシェアできる条件が揃う頃にお互いの状況がどうなっているかもわからない。
酒の席の冗談をこれだけ真に受けていることを笑いたければ笑ってくれてかまわない。しかし、1人寂しく老け込んでいくこの先を想像しているよりは、友人との穏やかな共同生活を夢想する方が体に良いに決まっている。誰に気持ち悪がられようと、もうしばらくはこの妄想に浸っているつもりだ。
できるだけ無益な話を心がけているつもりではあるが、ここ3回は輪をかけてどうでもいい話になってしまった。いくらなんでも申し訳ない。
せめて次回は私おすすめの楽しいYoutube動画を紹介しようと思う。
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