オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

エスケープ フロム ヘル

 はーあ!!

 はーあ、である。ちなみにどういうことかというと、喜びのため息である。知らない人も多いかもしれないが、人は幸せなときにもため息をつくのだ。私はとても物知りだから、そういうこともよく知っている。

 なぜ嬉しいのかというと、久々に友人と話したのだ。ラインで。事情により電話はできなかったが、ここしばらくの間、喉にひっかかった小骨のようにチクチクと私の気を滅入らせていた事柄について話を聞いてもらったり、ちょこちょこと近況を報告しあったり、とても楽しい時間だった。

 自分で思っていた以上に嬉しかったようで、そのラインの後に職場の同期とすれ違ったとき、思わず笑顔で挨拶してしまったくらいだ。挨拶自体はいつもしているが、私が同期に笑いかけるなど本当に久々のことであったので、私自身、驚きのあまりせっかくの笑みが多少引き攣ってしまい、それを見た同期もビビってちょっと引いていた。そんな夜だった。

 

 それで、前回言ったとおり、この間の研修の話である。

 弊社における私の同期は、かなりたくさんいる。100人ほどだったか。普段は1~4人くらいずつが全国各地の配属先にてんでんばらばらになって勤めているのだが、年に1度、研修のために都内の一カ所に集められるのだ。

 研修の内容はどうでもいい。他の会社とおんなじような、意味があるんだか無いんだか、お偉方がそれっぽいことしたいだけとちゃうんか、的な内容だった。

 今回私の心に強く残ったのは、各人の職場でのエピソードであった。それぞれが本当に様々なところで様々な仕事をしているので、仕事内容、職場環境、目の輝き、みんな全然違うのだ。

 ロシアの誰かの本に「幸せな家庭はみんな同じだが、不幸な家庭はバリエーションが豊富」みたいな言葉があった気がするが、これは職場にも通ずるらしい。たとえば私の職場は、ブラックかホワイトで言えば、どホワイトだ。残業はなく、遅刻にもうるさくなく(そもそも上司の勤務時間がかなりフレキシブルだ)、和気藹々とは言えないがみんな淡々と自分の仕事をしていて、他人をイビったりする人はいない。そして他のホワイト勤務の連中もみな、自分の職場をそんな感じで形容していた。

 しかしブラック勤務の連中の話を聞くと、その環境はなかなか多様性に富んでいた。部署全体がギスギスしていて、いつも誰かが喧嘩している職場、 新人イビりのひどい職場、 教育もロクにせず、過剰量の仕事を振ってくる職場、 遅刻『しかけた』等つまらないことで延々説教をされる職場……責め苦も獄卒(罪人を懲らしめる鬼)も様々な地獄がそこにはあった。

 多分想像がつきやすいと思うが、各人の職場環境の話になると、段々ブラック勤務の奴らの不幸自慢大会みたいになってくる。そんな折、新人教育担当リーダー的なポジションの先輩社員が、そのブラック連中の話を聞いて言った。

 

 「そっかぁ、大変だね…。でも、初めのうちに厳しいところに行っておいた方が、後々色んなことが身について良いよ」

 

 出た。

 日本人のよく言う寝言ランキング堂々の第1位、 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」 である。ちなみに2位は「おしゃべりだけでもOK!未経験から稼げるお店です」で、3位は「FF外から失礼します」だ。

 私も、この言葉を全否定したいわけではない。確かに苦労の末に得られる経験は貴重なものだろう。しかしこの場合の苦労というのは恐らく技術や礼を身につけるための研鑽を意味しているのであり、始業2分前に職場に着いたら上司から「15分前にはデスクに座ってないと…社会人としての自覚ある?」とか言われて5分の説教をくらう、みたいなことを指しているのではないと思うのだ。

 あと、先輩社員さんはこんなことも言っていた。

 

「厳しいところにいるとストレス耐性がついて、打たれ強くなるからね!」

 

 ストレス耐性……これもよく聞く寝言だ。社会だけでなく、中高の運動部とか吹奏楽部でもよく聞いた。「上下関係の厳しい部活をやり抜いた人は打たれ強いから、どこででもやっていけるよ」とかよく聞くフレーズだが、打たれ強いって、本当に良いことだろうか?

 

 読んでいない人には申し訳ないのだが、2つ前の記事にリンクを貼った継傷という短編がある。平たく言うとモラハラ夫と妻の話である。あれに出てくる奥さんの幸恵さんは、打たれ強い、ストレス耐性の高い人の一例として書いた。彼女は傲慢な夫を憎み嫌っているのだが、その一方で夫から逃げようとせず、30年もの長きに渡って連れ添っている。これは夫に対する愛情が残っているから……とかではなく、単に日々のモラハラに心を削られているせいで、離婚に踏み切るほどの元気が残っていないだけである。つまり彼女はストレス耐性が高いがために、ずーっと嫌な思いをし続けているということだ。

 もしストレス耐性が低い人だったなら、早いうちに夫からの暴力や暴言に耐えられなくなって子供を連れて離婚したり、鬱になって自殺したりするはずである。しかしストレス耐性の高い彼女にとって、夫のDVやモラハラは耐えられないほどではなかった。が、この『辛いけど耐えられないほどではない』という状態こそが一番厄介なもので、彼女は「できることなら離婚したい」と思っていたものの、日々のモラハラによって疲弊した精神では、『激怒した夫に殴られる』、『離婚後の生活苦』、『そもそも多分承諾してくれない』等の困難が予測される離婚という手段を選択することができなかったのだ。

 

 自分が書いた小説のキャラクターについて長々と語ってしまったが、要するに、ストレス耐性が高い人は確かに長期間ストレスに耐え忍べるが、耐えれば耐えるほどに体力と気力を奪われ、「そこから逃げる」という選択肢を選べなくなってしまうということである。

 最悪である。雇用主とかからしたら、そりゃあストレス耐性の強い方が良いだろう。道具は長持ちするに越したことはない。しかし本人からしてみれば、永遠に続く生き地獄だ。ストレス耐性なんて、もはやない方が良いんじゃないかとすら思える。

 

 ゆとりだ根性ナシだ恩知らずだなどと誹られようが、それを言ってくるのは極悪非道の資本家か、ストレス社会に浸かりすぎて存在そのものがストレスと化してしまった悲しきモンスターである。耳を貸したところで、百害あって一利なしだ。耐える前に逃げちゃうのが一番良いんじゃないだろうか。まぁ世の中子供とか生活費とか世間体とか色んなしがらみがあるわけで、皆が皆そんな簡単に逃げられるわけじゃないのだろうが、我慢の出来るやつはえらい、不遇を耐え抜いた先には成長があるという考え方は、やっぱり違うのではないかと思うのだ。

 

 ちなみに話を聞いた中で一番ヤバかったのは、近くの席に座っていた女の子で、まさかのサビ残をやらされてる奴だった(弊社のシステム上、サビ残はそうそうあり得ない)。毎日2時間くらい残らされているらしい彼女と趣味の話になったとき、私が「最近は組紐とかやってるんだ。 君の名は に出てたアレ」というと、彼女は「あー!私もリリアン編むよ!休みの日はやることなさ過ぎて、リリアンを編んで解して、また編んでる」と言っていた。

 ─────虚無。あまりにも虚無である。サービス残業は、彼女からとんでもないものを奪っていったらしい。彼女は配属先の人間と揉めることをひどく嫌がっているようだったが、とりあえず本社の人に相談してみるよう強く勧めておいた。

 

 三十六計逃げるに如かずという言葉もあるし、やっぱり理不尽からはとっとと逃げた方が良いんだなぁ、と学んだ新卒研修であった。

 

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