オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

何も言わない

 突然だが、我が家のインターホンは入居以来ずっと壊れている。オートロックのアパートだから、訪問者はエントランスにある全部屋共通のインターホンを使って目的の部屋にピンポンするのだが、この共通インターホンのマイクが壊れているらしいのだ。訪問者の顔はカメラに映るのだが、声が何も聞こえない。こちらの声も向こうに届かないようで、初めて来る配達員さんは、無言で自動ドアを開ける住民たちに首を傾げながら恐る恐る荷物を運んで来てくれる。多少不便だがもう慣れてきて、部屋の前のインターホンは無事だしまぁいいか、と入居以来ずっとこの問題を放置してきた。多分このアパートの住民全員が同じ考えらしく、少なくとも4ヶ月以上の間、インターホンは壊れたままでいる。

 あるときふと、エントランスのインターホンからは、ピンポンしてからの様子がどのように聞こえているのだろうと気になった。どうやら音声の回線が繋がる音は下に聞こえているらしく、配達員さんたちはみんな、私が受話器を取ってからなにがしかを話しかけているのだ。その回線の繋がる音を聞いてみたくなった。

 自分の部屋の番号を押して、呼び出しボタンを押す。しかしその後、何も音は聞こえてこない。そもそもエントランスに私がいるのだから、呼び出しに応じる人間がいるわけもない。そりゃそうだよな、と鍵を取り出し、スピーカーの隣の鍵穴に差そうとしたその時、プツッ!と小さな音が私の耳に届いた。

 聞き間違えか?私はスピーカーを凝視する。何も聞こえない。やっぱり聞き間違えだったらしい。再び鍵を鍵穴に近づける。すると私が鍵を差し込むより先に、すぐ横の自動ドアが開いた。

 反射的に、インターホンのカメラを見た。もちろん、画像を取り込むためのレンズから、その向こうの様子を推し量ることはできない。自動ドアはまだ開いている。私は少し混乱しながら、恐る恐る自動ドアをくぐった。

 もしかして私は、間違えて隣の部屋番号を押してしまったのだろうか?それならば回線の繋がる音が聞こえたのも、自動ドアが勝手に開いたのも、ある程度は説明がつく。しかし、いま私が着ているのはただの普段着だ。間違っても配達員や、インフラ業者の人間には見えない。若い女とはいえ見ず知らずの人間を、そう簡単に通してしまうものだろうか?それに記憶が正しければ、私は確かに自分の部屋番号を押したはずだ。

 納得のいく答えが見つからないうちに、自分の部屋の前に着いてしまった。ドアノブに手をかけてみるが、ドアノブは途中でガチッと音を立てて、最後まで下がらない。鍵はちゃんと閉まっている。部屋を出るときに鍵をかけた記憶があるので、当然、このドアはずっと閉まっていたはずだ。でももし、さっき私が部屋の番号を押し間違えていなかったとしたら。もし、呼び出しに応じた者がこの中にいたとしたら。

 うじうじと考えているのは性に合わなかった。自分自身に痺れを切らし、鍵を開け、ドアをゆっくりと開く。小さな土間と見慣れたキッチンの向こうに、物が少ない私の部屋が見えた。出る前と変わった様子はないし、人の気配もない。もしもの場合に備えて鍵は閉めずに、すぐにでも通報してやるぞという威嚇として耳にスマホを当てながら、部屋の中に入った。風呂場、押し入れ、ソファの下、人が入れそうなスペースは全て確認する。しかし警戒の甲斐なく、どこにも何も見つからなかった。

 深く、深く安堵の息を吐く。馬鹿馬鹿しい、ホラー脳が過ぎる、と思われるかもしれないが、私は真剣に怖かったのだ。やはり自分のテリトリーである家の中に誰かがいるかもしれないというのは、かなり恐怖心を煽られる。ゴキブリだって家の中に出るから怖いのであって、森とか国道とか、もっと開かれた場所を好んで出現していれば今ほど嫌われていなかったのではないだろうか。

 あまりにも怖かったので、上着を脱ぐこともせず、ソファに腰を下ろしてしまう。部屋着に着替えるなり弁当箱を洗うなりやることはあるのだが、気が立ちすぎているせいでしばらく何も手につきそうになかった。

    そうだ、と思いつき、姉に電話をかけることにした。私は何か怖いことがあったとき、いつも姉に電話をかける。仲が良いというのもあるが、姉と私は勤務時間が似ているため、連絡がつきやすいのだ。ソファに寝転がり、ラインで姉に電話をかけようとする。そのとき、部屋の出入り口にあるインターホンから、チャイムの音が鳴り響いた。

    実家のマンションはオートロックではなかったので、ここに住んでから初めて知ったことなのだが、エントランスのインターホンを押したときと、玄関前のインターホンを押したときでは、違う音が鳴るようになっている。このアパートでは、エントランスのからの呼び出しでは軽快なメロディが鳴り、玄関前からの呼び出しではオーソドックスなピンポーンという音が鳴るようになっている。そしていま聞こえたのは間違いなく、後者のオーソドックスな呼び出し音だった。

    身体中に緊張が走る。もちろん私はいま帰ってきたばかりで、エントランスからは誰も通していない。さっき私が自動ドアを通ったときに誰かが後からついてきたということも考えられるが、そんな気配は感じなかった。

    ソファを離れ、インターホンの前に立って、受話器に手をかける。冷静になれ。現実的に考えろ。エントランスを通らずに玄関に来られる人がいるとしたら、それは同じアパートの住人であると考えるのが普通だ。隣の人が、ポストに間違えて投函された私宛ての郵便を届けに来てくれたのかもしれない。前にもそういうことがあったのだ。

    意を決して受話器を取った。耳に当てて、相手の言葉を待つ。受話器を取った音がスピーカーから聞こえているはずだが、玄関の向こうの相手は一向に何も喋ろうとしない。不気味な沈黙が続く。何か用ですか、と向こうに問いかけようとする気にはならなかった。むしろ向こうが何も言わないのなら、こちらもイタズラと判断して無視を決め込むことができる。またインターホンを押されたら怖いから、しばらくは電源を落としておこう。そう思いながら受話器を置こうとする。しかしそのとき、それまで何も聞こえなかった受話器からプツッ!という小さな音が聞こえた。

    緊張の糸が張り詰める。全神経を集中させて、インターホンの向こうの気配を探るが、何も聞こえないし感じなかった。どうか聞き間違いであってくれ、と祈りながら再び受話器を置こうとする。すると私が受話器を置くより先に、玄関からガチャン、という音が聞こえた。嘘でしょ、と思う間もなく、玄関のドアノブが下がりきっているのが目に飛び込んでくる。ドアが引かれ、隙間から外の空気が吹き込んできた。ゆっくりと開かれていくドアを呆然と見つめながら私は、帰ったときに鍵を閉めないままにしていたことを、今さらになって思い出していた。

 

 

 

 書いてみた。

 友人にこんな感じのショート・ホラーをたくさん書く奴がいるので、真似してみたのだ。Pixivの方にあげるほどのボリュームじゃないので、こっちに上げることにした。ちなみにうちのインターホンがずっと壊れているのはマジである。4ヶ月半放置してきたのだが、最近ようやく管理会社に連絡して修理してもらえることになった。

 ところで近頃、こういう玄関がらみでちょっと怖いと思っていることがあるのだ。次回はそのことについて話したいと思う。

 

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