オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

あきら世界観

 私はわりとどこでも寝られるタイプである。学生寮にいた頃は2年間押し入れ×ニトリのせんべい布団で寝ていたし、花火大会中の琵琶湖畔でうたた寝したこともある。後者について冷静になって思い返すと、日々の摂生にかなり問題があったのではないかと反省してしまいそうになるが、まぁ過ぎた話だ。

 それで、一人暮らしを始めてからは多少寝具に気を遣うようになった。敷布団も掛け布団もある程度ちゃんとしたものを買い、最近は東北の寒さに対抗するためにモコモコの毛布と布団パッドを買った。冬の夜の寒さを、主に厚着によって凌いでいた去年までを思うと、これはかなりの躍進である。

 しかしまだ10月末、季節的には秋が深まってきたくらいの頃合いであるのに、モコモコ毛布とモコモコ布団パッドをダブルで使って、やっとちょうど良いくらいというのは一体どういうことなのか。

    職場に蔓延る生まれながらの仙台市民たちは、「仙台は、東北の中ではそんなに寒くないですよ~」と言っている。これまで私はこの言葉を鵜呑みにして安心しきっていたのだが、よくよく考えれば、そんなに寒くないと言っても奴らの比較対象はあくまで東北である。仙台市民が「他の東北に比べたら寒くないよ」というのは、松崎しげるが「ベイダー卿に比べたら黒くないよ」というのと同じなのではないか。

    黒い。十分黒い。一体どういう頻度で日サロに通えばああなるのだ。私は仙台をナメていた。

 となれば、どのような対策を取るべきなのだろうか?ストーブ類は、電気も灯油もあまり使いたくない。火事が怖いからだ。私はああいうものの電源を点けっぱなしで仕事に行く絶対の自信がある。となれば、エアコンか。しかし私は室内の空気が乾燥すると一瞬で風邪を引く体質であるので、加湿器を用意する必要がある。そうなると、おそらく外と室内の温度・湿度の差によって、窓周辺がヤバいほど結露することになるだろう。この結露対策もしっかり考えていかないといけない。

 めんどくせぇ!めんどくせぇが、仕方がねぇ。私は最近になってようやく気付きつつあるのだが、こういう手間を惜しんでずっと悪環境に耐え忍ぶよりも、頑張ってちょっとでも改善した方が後々とても楽なのだ。何を言ってるんだ?と思う人もいるかもしれないが、こんな当たり前のことを心で理解するのに、25年もの歳月を要する人間も世の中にはいるのだ。そういうわけで取り急ぎ、『加湿器 一人暮らし』『結露 対策』でググってみようかと思う。

 

 日本はこんなに寒いので、温かいところに住んでいる友人の話をしよう。私が大学の学部生だった頃の友人だ。彼女のことは仮に小松ちゃんと呼ぶ。

 学生時代の彼女のエピソードで、印象深いものがある。確か大学3年生の秋頃のことだ。2限からの授業のためにHRに入ったところ(私たちが所属していた学科は非常に小規模だったので、各学年にHR的な教室が与えられていた)、まだ人影もまばらな教室の端で、小松ちゃんともう一人の同期が、『嵐』の大野くんの顔写真(写真立て入り)を眺めながら、黙々とケーキを食べていたのである。

 (えっ…大野くん、亡くなったの!?)

 かなり本気でそう思いながら、恐る恐る二人に何をしているのか尋ねたところ、何でもその日は大野くんの誕生日で、お祝い的な意味でケーキを食べていたらしい。彼女たちは『嵐』のファンであり、そしてアイドルファンの間では、推しアイドルの誕生日にケーキを食べたりパーティをしたりしてお祝いするのはわりと一般的なことであるらしい。

    クリスマスかよ、と反射的に思った。でも確かに、2人の若い女が1人の男の顔を見ながら、はしゃぎもせずに粛々とケーキを食べる様子にはどこか儀式めいたものがあったので、あながち間違いではないのかもしれない。

 それで現在の小松ちゃんだが、彼女はいま海外ボランティア派遣制度に参加して、赤道付近の小さな国で栄養士として働いている。一度は地元の病院に就職したのだったが、そこでの仕事があまり楽しくなかったので、色々と条件が合っていたこともあり、一念発起して以前から興味があった海外の仕事に乗り出したのだという。

 小松ちゃんとは何度か演習・実習班が同じになったこともあり、それなりに話したこともあったはずだったのだが、彼女が海外で仕事をしたいと思っていたことなどまるで知らなかった。言語も環境も日本とは全く違う場所で、その国の人々の健康増進のために働く彼女の行動力と胆力を私は心から尊敬している。

 が、今回話したいのはそのことではない。これだけ長々話しておいて言うのもなんだが、違う。私が話したいのは、彼女の仕事や面白話ではなく、彼女の性格の一部についてである。

 さっきチラッと話したが、彼女はしばらくの間、病院で働いていた。私は学生時代の病院実習でひどい目にあったことがあり、病院という職場に強い偏見を持っている。それで数ヶ月前、既に病院を辞めた後だった彼女と話す機会があったとき、「病院の仕事、大変じゃなかった?」と聞いてみたのである。

 「うん、大変だった!」

 「人間関係とか、大丈夫だった?」

 「基本大丈夫だったけど、やっぱウザい人もいた。こんな人いるんだ~、って感じ」

 「そうなんだぁ」

 「うん!」

 この後も話は弾んでいったが、私はこの短いやり取りの中にあった小さな違和感を忘れられなかった。違和感と言っても悪い意味ではない。彼女の、職場の元同僚がウザかったという台詞はどこかとてもサッパリしていて、爽やかさすらあったのだ。私は自分自身がなぜそう感じたのかが全く分からず、彼女の性格がいかにこざっぱりしているかを人に伝えたいときもどうしても上手く表現することができず歯がゆい思いをしていたのだが、前回の記事を書いているときにふと、その理由がわかった。彼女の話し方には全く、憎しみや悔しさが感じられなかったのだ。

 

 悔しさ!

 

 この粘着質で毒々しい感情に、私はどれだけ苦しめられてきただろうか?

 同級生に馬鹿にされたり、店員に嫌な態度を取られたりしたとき、その記憶が長い間頭の中にこびりついてしまうのは、他ならぬ悔しさのせいであると私は思う。うまく言い返せなかった自分が、スマートに仕返しできなかった自分が、悔しくて仕方がないのだ。

 そう、仕返してやりたいのだ。何か不当な扱いによって自分が傷つけられたなら、その相手に自分と同じか、それ以上の痛手を喰らわせてやりたいと思うのが人情というものではないのか。私が前回前々回と2記事も使って長々と過去のセクハラについてもっともらしく考察していたのだって、いつまで経っても消えてくれない悔しさをなんとか消化したくて、せめて自分の中だけでも納得できる、セクハラ野郎を侮蔑する理屈を考えただけである。悔しさという感情のせいで私は、全てが済んだ今になってさえ、惨めな一人相撲を取らされているのだ。

 

 なんだ、この文章は?私は小松ちゃんの話がしたかったはずなのに、いつの間にか私の頭の中の話になっている。

 なんだか最近他人と会話する機会がめっきり減っているせいか、思考が大分偏ってきている気がする。友人とか家族とか、自分以外の誰かとニュースや近況について軽く話す、ということすらしない状況が長く続くと、段々と自分の考えや世界観が濃くなっていき、どんどん自己主張が強くなってしまうのだ。そろそろ、ヤバい。週末に関東でビスカちゃんや他の友人たちに会ってくる予定なので、そこできっちりチューニングしてこよう。

 

 とにかく小松ちゃんは、人のことをウジウジ恨んだりしないさっぱりした奴ってことが言いたかったのだ。それだけは確かだ。

 

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