オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

京大ロンダしたけど手取りが18万円な件について #4

22歳くらいまで──────つまり熊野寮に入寮するまで、私は人と話すことが得意ではなかった。

初対面の人との会話もそうだが、バイト仲間だとか、クラスメイトだとか、『同じコミュニティに属してはいるけど親しくはない人』が相手だと特に緊張してしまって上手くしゃべれず、後で自己嫌悪に陥ったりするので、班行動とかバックヤードでの世間話が本当に嫌だった。

 

思い返せば当時の私は、誰かと話しているときも、気にしているのはいつも自分のことばかりだった。表情が変だったりしないかとか、頭が悪いと思われないかとか、そんな余計なことを考えているせいで、会話に割くべき脳の容量が圧迫されて、本来のパフォーマンスが発揮できないのだ。

言ってしまえば単なる自意識過剰で、わからない人には全然わからない悩みだと思うが、あの頃の私はそれなりに生き辛さを感じていたと思う。

 

 

 

で、そんなこんなで熊野寮入寮である。

総勢450人が一つ屋根の下に暮らし、ついでに男女比は3:1だ。言うまでもないが、自意識過剰と異性の相性は最悪だ。私は好きでもない男子学生とバイトのシフトが被った時に、緊張しすぎて台拭きをごみ箱に捨ててしまったことが覚えているだけでも3回ある(わかる人にはわかると思う)。

 

前回も言ったが、熊野寮では3月末から4月下旬にかけて、週2回ペースで新歓コンパが開かれる。そしてその目白押しの新歓コンパの中で最も早い時期に開かれるのが、私が住んでいたC34ブロックの新歓だった。

 

ブロックというのは、すなわち寮内の居住区のことであり、熊野寮には全部で9つのブロックがある。そしてブロックの新歓とは、そのブロックに住む在寮生たちが主催する歓迎会のことを指すのだが、これは自分たちのブロックの中だけで行われるものではなく、他のブロックの新入寮生はもちろんのこと、他のブロックの在寮生たちだって参加していいのだ。

 

そんなウェルカムスタイル猛々しいブロック新歓で、しかもその年度初の新歓となると、そりゃあもう多くの寮生がやってくる。

 

 

 

今でも鮮明に思い出せる。年季を感じる砂壁と、古い畳に水色のゴワゴワした絨毯がピン留されたC34談話室に、50人くらいの寮生と酒がひしめき合っている光景だ。4, 5人くらいずつが車座になっていて、その隙間には鍋料理やチャーハンが置いてあって、本当に足の踏み場もなかった。

 

私はそんなC34談話室の一番奥で、新入寮生が一番多くいる輪の中に、確か青色のクジラがデカデカと胸に刺繍されたセーターを着て座っていた。

 

本当にたくさんの人がいた。宝塚ファンの新一回生女子、なんだか自信過剰気味な文学部男子、ラブライバー、絡み下手の中国人、妙に話し上手の優男、韓国人ベースマン、チャイハネの擬人化みたいな服装の男、男、男…………。

 

 

 

やっぱり、男ばかりだ!新入寮生も、在寮生も!!!

 

 

 

そもそも私がいたC34ブロックは何故か理系の学生ばかりを集める傾向があるブロックで、新入寮生の女子比率が低かった。しかも在寮生の女子たちは料理作りのために共用キッチンに籠りきりになっていて姿が見えない。

 

さらに熊野寮の新歓において、在寮生には「新入寮生と積極的に交流する」という暗黙のルールがあるため、新入寮生のところには入れ替わり立ち代わり在寮生が来てくれるのだが、男女比3:1の寮なので男子は女子の3倍来る。

開始10分くらいで心の底から帰りたかったが、人が増えるにつれてあれよあれよという間に談話室の最奥に押しやられ、退路は人と料理と酒によって塞がれて、どうしようもないまま私は賑やかな空間にニコニコと座り込んでいた。

 

 

 

とはいえ、本当に人と話したくないのであれば、料理も人もブルドーザーのように押しのけて帰ったら良いし、そもそも、新歓になど参加しなければ良かったのだ。

熊野寮の新歓はあくまで『新入寮生』を歓待するものなので、学年は関係ないのだが、それでも新入寮生の大半は白くてふわふわの学部一回生だ。だから一回生は一回生でも大学院の方の一回生は、いまいち気後れしてしまって新歓に来ないことが多い。

それなのに、ただでさえ人と話すのが苦手な大学院一回生の私が、何故わざわざ新歓に居座り続けたのかというと、新入寮生に無償で提供される食事につられたというのもあるが、一番の理由は、人との会話に対する苦手意識を克服したかったからだ。

 

 

 

人と話すのが苦手だと、人と話さなくなる。そうなると、さらに話すのが苦手になる。

勝ち得た最後のモラトリアム延長戦、この機を逃せば先の人生で克服するチャンスはもう来ない気がした。このまま一生、コミュニケーションに息苦しさを感じながら生きていくのはどうしても嫌だったのだ。

 

 

 

私はとにかく、人の話を聞いた。そもそも寮生としても大学院生としても京都の街の住民としてもビギナーだったので、聞いておいた方がいいことは山ほどあったし、新歓に来る在寮生にはおしゃべり好きが多いので、素直に質問をすれば親切に、事細かに、………………ちょっと受け止めきれないほどの情報量で話してくれる人がたくさんいた。

斜向かいのパン屋は高いけど美味しいとか、スーパーはフレスコよりイオンの方が安いとか、今の時期は南禅寺や哲学の道の桜がきれいだとか、機動隊に寮が取り囲まれても意外と生活に支障は出ないとか、恋バナとか、新潟のタケノコは細いとか、各ブロックの特色とか、夢とか、今の専攻を選んだ理由や後悔とか、伝説の寮生とか、秋の寮祭のとあるイベントがなくなった理由とか、右翼と左翼が何であるとか、マルクス資本主義とか、おいしいアルバイトの話だとか、たまに不審者が入ってきてアイスを盗むだとか、夜中に寮内をうろつくとセックスに出くわすから気をつけろとか、おすすめの飲食店とか、寮内の情勢とか、吉田寮の取り壊し問題のこととか、本当にいろんな話を聞いた。ここには書ききれないし、忘れてしまって思い出せないものもたくさんあると思う。

 

その後も色々な新歓に顔を出し、顔見知りが増えていくうちに、私が最も苦手とする『同じコミュニティに属してはいるけど親しくはない人』もどんどん増えていった。完全に克服するには1年くらいの時間を要したが、新歓のシーズンが終わる頃には、私の自意識過剰癖は大分なりを潜めるようになっていた。

 

始めの方にも言ったとおり、私は他者との会話中、表情が変だったりしないかとか、頭が悪いと思われないかとか、そんなことばかりを気にしていた。でも、和気藹々とした宴の場で楽しそうに話す人たちの顔を見ていて、思ったのだ。

 

人って意外と話し相手の顔を見ていないし、どんな人でもふとした瞬間に小鼻を膨らませたり口の皴が目立ったりするような変な表情をするし、目ヤニも鼻毛も出てるし唾は飛ばすし、あと周りがほとんど京大生である中で自分の頭が良いとか悪いとか考える方がバカらしくて、なんかもう、「じゃあ、いっか」と思うことがたくさんあって、そうこうしているうちに段々、今現在の私が醸成されていった。

 

多分、他者から見たら大した差はないのだろう。でも私は、デリカシーを失った代わりにちょっとだけ人懐こくなった今の自分のことが、わりと気に入っている。

 

 

 

そんな風に、熊野寮1年目の春は、私の人生の成長期とも言える時間になった。

高校ぶりに恋愛もした。一つ年下の男子で、SC新歓という、寮全体を挙げての新歓で知り合って以来、ちょくちょく一緒に食事をしたり近所へ散歩に行ったりしていた。彼とは2人きりで色々な話をしたはずだが、何を喋ったのだったか、惜しいことにあまり覚えていない。いくら人慣れしてきたとはいえ、やはり好きな人を前にすると緊張せずにはいられなくて、相手の言葉も自分の言葉もふわふわと上滑りしていくような心地に、ひどくもどかしい思いをした。

でも、そんな遠景の桜のような茫洋さも含めて、当時のことは本当に美しい思い出だと感じるのだ。

 

 

ちなみにこの恋は、寮のとあるイベント中、わざと酔っぱらい「少し夜風にあたりたいな」なんて言って2人で夜の散歩に繰り出そうと企み、彼の見ていないところでストロングゼロのロング缶を丸々一本飲んだところ、酔い過ぎて500 mL全てを寮の廊下でリバースした悲しい事件をきっかけにあえなく終幕を迎えた。

 

斯くして雨後の桜のごとくビシャビシャに散った恋ではあったが、「空きっ腹にイッキしたから戻したのはほぼ液体だけで、ほんと不幸中の幸いだったよ~」と言うと大半の人が信じられないような顔をするので、その表情を見るたびに、自分がどうやら取っておいた方がいいものまで失ってしまったらしいことを思い知らされる。

 

 

 

さて、今回は話が脱線しすぎてしまい、前回の最後に予告していた内容をほとんど話せずに終わってしまった。

 

次回は熊野寮で出会った私の友人について紹介しながら、今度こそ寮の運営システムなどについてお話しするとしよう。

 

 

 

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