オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

人生はエッセイにならない

Twitterでよく見る、エッセイ漫画みたいなことが起きた。

 

 

 

職場からの帰り道のことである。

前日に降った大雨のせいで、流れ出した植込みの土が歩道にぬかるみを作り、そこに自転車で通りかかったおじいさんがタイヤを取られてド派手に転んだのだ。

 

私は驚いて駆け寄り、おじいさんに怪我はないかと声をかけながら自転車を起こして、自転車のカゴからこぼれた荷物を拾い集め、もう一度おじいさんに声をかけたが、おじいさんは私の問いかけに返事はするものの一向に立ち上がろうとしなかった。

 

「大丈夫ですか?足とか捻りませんでした?」

 

「あぁ……大丈夫。なさけね~、こんなところで……」

 

「いやいや……。とりあえず、自転車起こしますね。卓球やるんですか?(荷物の中に卓球のラケットがあった)」

 

「あぁ……負けてばっかだけどね」

 

「難しいですもんね~。……本当に大丈夫ですか?立ち上がれますか?」

 

上記は私がおじいさんに声をかけ、自転車を起こし、荷物を拾うまでの30秒くらいの間に交わした会話だが、この間おじいさんは足を投げ出して座り込んだまま全く動かなかった。

 

立つのを助けようかと尋ねても断られるので、これはいよいよ腰か足を捻っているかもしれない、その場合は家族か救急車を呼んだ方がいいのだろうか、しかしこの年代の人は恥ずかしがってそういうのを嫌がるかもしれないし、そもそもこの人に家族や医者にかかる経済的余裕があるのかもわからない、でも私はギックリ腰も足首の捻挫もやったことがあるからわかるが、それらのステータス異常を抱えた状態で自転車を押しながら帰宅するのは絶対に無理だし、最悪警察を呼んでおじいさんを自宅に送り届けてもらうしかないのかもしれない……。

 

などと考えながら、とりあえずおじいさんが立つか「痛い」と言い出すかするまで世間話をして間を繋いでいると、おじいさんがようやくアクションを見せた。

座ったまま、私の方に片手を差し出したのである。

 

あ、やっと立てるようになったのかな?と思ってその手を取ろうとしたとき、私は彼の手に、何かが握られていることに気が付いた。

 

茶色くてシワシワで、ずっとポケットに入れっぱなしだったハンカチみたいな─────、

 

「これ……じゃこ天」

 

「じゃこ天!?なんでそのまま持ってるんですか?」

 

「四国の名産なの」

 

「あぁ……うどんと一緒に、みたいな(この辺はもうヤケだった)」

 

彼は立たせてもらいたくて手を出したのではなく、なぜか剥き出しの状態で携帯していたじゃこ天を私に差し出していたのだった。狐か何かだと思われたのかもしれないが、とりあえずくれると言われたわけでもないので、じゃこ天は彼の自転車のカゴに戻しておいた。

 

その後、おじいさんは何とか自力で立ち上がり、自転車に跨ると、見ていて本当に恐ろしいほどふらふらしたハンドルさばきでその場から去っていった──────。

 

 

 

 

(Twitterのエッセイ漫画みたいなことが起きた……)

 

 

 

 

おじいさんを見送った後、私はそう思った。

数時間後に自分の姉にも、「Twitterのエッセイ漫画みたいなことが起きた」と前置きした上で何があったか詳しく話した。

 

何故わざわざそんな前置きをしたかと言えば、あまりにも事実がギャグテイストであったため、作り話と思われることを恐れたからである。

 

 

 

人生はエッセイにならない。

つまり人様に語って聞かせるほどの出来事など、そうそう起きないということだ。一般人の日常生活なんて、ハリウッドザコシショウのモノマネくらい強調しないと面白くならないだろう。

 

文章のエッセイは「考え事ベース」で書くことができるため、自分の身に起きていないこと(たとえば、話題のニュースなど)でも題材にすることができるが、「出来事ベース」に偏ってしまうと、どうしてもネタが尽きやすくなる。

実際、今回のじゃこ天事件ほどキャッチーな出来事など、二十余年に亘る人生で初めてである。私が120歳まで生きたとしても、あと3回くらいしか起きない計算だ。

 

私は今後、もう少し絵の練習を重ねてエッセイ漫画などにもチャレンジしてみたいと思っていたが、文章エッセイさえ70記事くらいでダウンしているのだから、「出来事ベース」になりがちなエッセイ漫画など2記事くらいで息切れすることが目に見えている。

すぐにネタが尽きて、出来事を捏造し始めるか、なんてことない日常をハリウッドザコシショウくらい強調し始めるかの二つに一つだ。

 

 

 

しかし、どうせ現実にネタがないのであれば、「こんなことがあったら楽しいな」という想像を元に、架空のエッセイ漫画を描いてみるのも良いかもしれない。エッセイは必ずノンフィクションでなければならないという決まりは(多分)ないし、そもそも私のエッセイ漫画には大抵赤いパンツを穿いた赤ちゃんパンダが出てくるので、元より完全なノンフィクションではない。中途半端に現実に寄せようとして苦しむよりも、思う存分好き勝手にやった方が楽しいし、見ていても面白いだろう。

 

それでもネタに困ったときは─────ハリウッドザコシショウの日常を描いた架空のエッセイ漫画を描いて、急場を凌ぎたいと思う。

 

 

 

 

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