オン ザ ソファ

一人きりで暮らしているから、どうでもいいことを聞いてほしい

ディストピアがお好き

 「若いわ~」

 この言葉を初めて言われたのは、いつだっただろうか?確か高校1年生のときに、3年生の先輩から言われたのが最初だった気がする。「1年生、若いわ~。だってまだ15歳でしょ?」と、まだ17,8歳の先輩が言うのである。大人ぶりたいんだろうな、とその時は思ったし、私も高校3年生になったら大人ぶって、同級生と一緒に1年生に向かって「若いわ~」と言った。

 しかし段々、同級生の中に、それを過剰にやる奴が出てきたのだ。「うちらなんか、JKじゃなくなったら、もうババアも同然でしょ」とか、電車の中で平気で言うのである。まず周囲の年上の女性に失礼だし、私にはそれが、身の丈に合わない大人ぶりというか、逆に子供っぽい発言のように感じられた。

 大学生1年生になると、また上級生から「若いわ~」と言われる。「そっちもお若いですよ」と返すのも変だし、いつも返答に窮していた。そして大学3年生くらいになって同級生がまた「若いわ~」を言い出すが、いくつも違わない相手を安易に「若い」と言えるほど自分が大人であるとも思えず、下級生に面と向かって「若いわ~」ということはなかった。

 そして、また過剰にババアぶる奴が出てくる。そこまでは高校時代と同じだったが、ここで新しいタイプの発言が出てくる。「○○歳になったらもうロリータ服着れないから、今のうちにいっぱい着る!」「おばさんになったらビキニとか着れないし、今のうちにやっちゃえって感じだよね」着る服や行動を、年齢によって縛る発言である。

 別にいくつになろうが、好きなもの着て好きなことすればいいじゃん。と、当時は言っていたが、これはそんなに軽々しく口にしていい言葉ではないということに、最近気付いた。

 確かに、高校のクラスメイトが言っていた。中年女性のロリータファッションを見て「ババアのくせに、すっげーひらひらの服着てさー」と。

 確かに、大学院の友達が言っていた。ミニスカートを穿いている20代後半の女性を見て「ババアがミニスカ穿くなや…」と。

 白状しよう、確かに私も思ったことがある。海でビキニを着た4,50代の女性を見て、「うわ、よく着られるな」と。

 

 このように、一定年齢を過ぎてから、年相応ではない(と勝手に決めつけられている)服を着る女性に対して、世間の目は驚くほど冷たい。多分、「今のうちしかできない」と言っていた彼女たちは、私よりもずっと早くに、そのことを知っていたのだ。

 そして、過剰にババアぶっていた同級生たちの気持ちも、最近になってわかってきた。23歳、修士2回生の春、18歳の学部新一回生を目の前にした私は、まだあどけなさすら残るその顔に初めて「若さ」を感じた。自分の方が大人だから偉い、といった優越感は一切無かった。この子は「若い」、一方で私は「若くない」ということに対する、漠然とした劣等感がそこにあった。そして一瞬迷った後、自分から言った。

 「まだ18歳?若いわ~」

 周りに何か言われる前に自分から言うことで、予防線を張ったのだ。わかっています。私は(この子に比べたら)若くないって、自分でわかっています。そういう気持ちが言葉に乗った。あれは自衛行為だったのだ。

 私は『美魔女』という言葉について、“若い美女” に対して “若くない美女” を1段下げて表すために作られたものだと思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。18歳の美女と、38歳の美女を同じ『美女』という枠に入れたら、「後者はババアだろ!」みたいな心ない声が飛んでくることは十分に考えられる。35歳以上の美しい女を守るために、『美魔女』という言葉は生まれたのかもしれない。

 

 わからない。世間が女を縛るのか、それとも女が女を縛るのか?

 

 もはや女性に限った話ではなくなるが、個人のファッションについて周囲がとやかく言うとき、そこには「見苦しい」という感覚が関わっていることが多い。男性が化粧をしたりスカートを穿いたりするのは「見苦しい」。太っている人が露出の多い服を着るのは「見苦しい」。別に誰にも迷惑はかけていないのに、においや音と比べて気にしないようにすることが簡単そうなのに、人々はそれを批判することを我慢できない。

 

 似たような問題として、昨今話題になりがちな、萌え絵がある。

 近年、本屋にずらりと並んだラノベの表紙だとか、駅のホームの看板だとか、そういうところに描かれた若い女の子の萌え絵(エロめ)について、「生理的な嫌悪感を催す」という声が大きくなりつつあり、至るところで問題になっているのである。

 この問題に関して、「別になるべく見ないようにすりゃ良い話じゃん」という萌え絵肯定派の言葉に対し、否定派が「我々にとって萌え絵は、グロテスクな画像と同じなんです。ちょっと目に入るだけでも嫌なんです」と返しているのを見たことがある。

 何じゃそりゃ、そんなわけないだろ。

 と、萌え絵肯定派である私は言いたくなってしまう。が、これはビニ傘理論でいうところの、被害者感情に対する非共感性と全く同じである。考え直さなければならない。嫌がる理由に関しては理解できないが、「嫌」と言っているんだから、そうなのだろう。でも、だったら、どうしたらいいのだろうか?

 それに、そうなると、個人のファッションに対する「見苦しい」の声にも、共感の余地ができてしまう気がする。その「嫌」「見苦しい」の感情を認めてしまうなら、そう言っている人に対して一方的に「見ても気にするな」「わざわざ言う必要ないだろ、我慢しろ」とは言えなくなる。だったら、「見苦しい」と言われる側は、黙って言われているしかないのだろうか?

 地獄だ。自分の苦手なモノを見た人が嫌な思いをして、それを口に出す。言われた側はその言葉によって嫌な思いをして、それを口に出す。喧嘩になるが、どちらも悪くないので決着が付かない。いがみ合いは無限に続く。平和など永遠に訪れない。全員嫌な思いはしているので平等ではあるのかもしれないが、幸せではない。

 

 こうなったら、科学技術の進歩に期待するしか、道はないように思える。

 人々は皆VRゴーグル(メガネ型、コンタクト型などがあると嬉しい)をつけて生活していて、見たくないものを事前に設定しておくと、それが視界に入ったときに何か適当なものに変換してくれるのだ。萌え絵は風景写真、個性的な格好をした人は普通のサラリーマンという感じで変換できたら、みんな嫌なモノは見ずに済むし、好きな格好をして文句を言われることもなくなるだろう。

 

 多少尻切れトンボになるが、そろそろ終わりにしよう。飽きた。もう延べ4000字も話している。なんでこんなに長くなったんだ?恐るべし、書きぞめお題メーカー。

 

 

 ↓最後に、私が保育園児だった頃の、数少ないかわいいエピソードである。

 

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 ※ シベリアは羊羹をカステラで挟んだお菓子のこと

 

 

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