『シベリア』をご存じだろうか。
スターリンに目をつけられた奴が連れて行かれる場所のことではない。羊羹をカステラで挟んだお菓子のことだ。
チラッと調べてみると意外にもその歴史は古いらしく、一説によれば大正以前まで遡るそうだ。しかしその詳しい起源、発祥地、考案者、そして名前の由来に至るまで様々なことがボンヤリしてよくわかっていない、ミステリアスなお菓子である。
私は小さい頃、このシベリアが大好きだった。私の地元のスーパーには山崎製パンのシベリアデラックスという商品が置いてあって、それを買ってもらっては貪り食っていた。
しかし、いかんせんこのお菓子はあまり人気が無かったらしく、長いこと商品棚から消えたり現れたりを繰り返していて、大学に上がる頃にはとうとうほぼ見かけなくなってしまった。だから私は高校生の頃以来このお菓子を口にしていない。最近はまた地元のスーパーに再登場しているらしいが(姉が時折「シベリア買ったよ」と自慢のラインを送ってくる)、私がいま住んでいるのは地元から200km離れた仙台である。結局私の口には入らないのだ。
もうシベリアは食べられないのかな……と諦めかけていたのだが、つい先日、私はこの仙台でシベリアを発見した。馴染みの山崎製パンのものではなかったが、黄色のカステラに黒の羊羹を挟んだそれは正しくシベリアだった。まさか、まさか仙台でシベリアに会えるとは。私は喜び勇んでそのシベリアを買い、食後のデザートとして食べた。
結論から言うと、あまり美味しいと思えなかった。
悲しいことに、私のクソ面倒くさい食嗜好が、こんなところで火を噴いてしまったのだ。私は塩チョコ、塩アイス、塩キャラメルは好きだけど塩羊羹は食べないという、侘び寂の欠片もない味覚をしている。そしてこの仙台に流通しているシベリアに挟まっているのは塩羊羹だったようで、咀嚼中も常に感じられる塩の気配を、西洋にかぶれた私の舌は受け入れることができなかった。
悔しい。あまりにも悔しい。こんな面倒くさい味覚をしていなければ、仙台でも楽しいシベリアライフが送れたというのに……。
あなたの周りにも、こういったクソ面倒くさい食嗜好を持つ人間はいることだろう。苛立つ気持ちは十二分に理解できるが、その本人も、豊かな食選択の範囲を狭めてしまう自身の狭量な舌に苦悩しているのだ。どうか、ビンタくらいで勘弁してやってほしい。
シベリアの話をしていたら、自分の幼少期について思い出したことがある。でも正確には私自身が覚えていることではなく、私の幼少期を知る人から伝え聞いたことだ。その人というのは、お笑いニシヒガシで話した山賊Bのパパである。
山賊Bのパパの顔を私は知らない。長いこと単身赴任で働いているらしく、山賊Bの家に遊びに行ったときも一度も顔を合わせなかった。しかし大学生のとき、山賊Bが私に「この間パパが、駅で飯田を見かけたって」と言ってきた。私は山賊Bのパパの顔を知らないのに、どうして山賊Bのパパは私の顔を知っているのか。不思議に思い山賊Bに尋ねてみると、何でも山賊Bのパパは、授業参観で一度見かけただけの私の顔を、ずっと覚えているのだという。
山賊Bとは小学校の6年間ずっと同じクラスだった。だから小学校2年生のとき、山賊Bのパパが授業参観にやって来たときも、当然私は山賊Bと同じ教室にいた。
その日の授業は国語だったそうだ。教科書の小説文に出てくる漢字について、先生が1つずつ解説していたらしい。
「じゃあ、次の漢字は『首』です。みんな、『首』が付く言葉、何か知っているかな?」
先生の問いかけに子供たちは一斉に手を挙げ、知っている言葉をどんどん言っていった。手首、足首、首輪など大体のものが出揃って、そろそろ終わりかな?と大人たちが思っていたそのとき、それまでなかなか当てられなかった一人の子供が手を挙げて嬉しそうに答えた。
「ハイ!打ち首!!」
当然、保護者たちはザワついた。先生も保護者の手前、言葉の意味が分からずキョトンとする他の子供たちに説明していいものかためらっている。そうして教室内の空気を変な感じにして、一人ドヤ顔で自分の母を振り返っていたのが、当時8歳、17年前の私である。
先に、なぜ私が「打ち首」という言葉を知っていたのか説明しておく。当時私はNHKの忍たま乱太郎というアニメ番組が大好きで、リアルタイムの放送では飽き足らず、姉がVHSに録画してくれたものを延々と見続けるという日々を送っていた。
その忍たま乱太郎の話の中に、「しんべヱのパパが来る!」という話があった。優れた貿易商であるしんべヱのパパが、とある大名に頼まれてポルトガルの商人から歯輪銃(当時は珍しかった火を使わない鉄砲)を仕入れたところ、その歯輪銃を正体不明の忍者に横取りされてしまうという話だ。「このことが大名にバレたら、私は打ち首になってしまう!」みたいな台詞が劇中にあり、さらに打ち首の意味を簡単に説明する台詞も劇中にあったのだ。だから私は「打ち首」という言葉を、意味も含めてちゃんと知っていた。
多分8歳の私は、授業参観で母にいいところを見せられてハッピーだっただろう。そして今25歳の私は、17年前のことなんか別にどうだっていい。でも17年前の母は、ちょっと恥ずかしかっただろうなぁと思う。私なら小2の子供が「打ち首」とか言い始めたら、語彙の豊かさを褒めるより先に「この子の家、大丈夫かな」と思ってしまうだろう。私が思いっきり振り返って母を見ていたのなら、知らん顔もできなかったはずだ。
とにかくそういう思い出があって、山賊Bのパパは私の顔を長いこと覚えてくれているのだそうだ。記憶が正しければ、私と山賊Bが遊ぶようになったのはこの小学校2年生のときくらいからだと思うのだが、「打ち首」のガキとどんどん仲良くなっていく我が子を見て、山賊Bのパパとママはどう思っていたのだろうか。私が今も山賊Bの友人でいられている理由の一つに、山賊Bの両親の寛大さが数えられるだろう。「あの子とは遊ぶな」、その言葉をなんとか堪えていてくれたおかげで、今の我々の友情があるのだ。
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